日常.

何かを実施する時に、
それがどういうことか理解した上で行動するということが
正しい順序と思いがちですが、逆のほうが良いのでは?と思うことがありました。

それが坐禅です。

以前、何度か坐禅会に参加したことがあります。
坐禅の作法を教えていただき、お経をいくつか読んで、坐る。

実は参加しておきながら
何のために、なぜ坐禅をするのかわかっていませんでした。

たまたま自分のお寺のことを学ぶのに
臨済宗の本を読んだ時に坐禅会で読んでいたお経や
坐禅そのものの説明が書いてあり、そこで初めて理解できました。

順番としては逆かなと思ったのですが、
よく考えてみると正しい順番だったのかと。

たぶん何もしていない状態でお経の意味とか本で読んでも
全く頭に入ってこず、坐禅そのものに興味を失っていたかもしれません。

実際に自分が「体験」したことについて
その意味を学ぶということで興味がわき、
また理解もできたのかなと思います。

そう考えると、意味がわからなくてもまず体験するというのは
非常に大切なことなのだと気づきました。

今興味があるのが論語の素読。
論語をただ読むということで、意味がわかるはずもありません。
でも順番としては声に出して読むのが最初かな、と思いました。

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