
精神科医が書いた書籍「人間はどこまで家畜か」を読みました。
別の書籍で見たのですが、日本では稲作に適した環境であったが故に狭い地域で労力をかけるほど収穫ができると言う地域特性があり日本人は自己家畜化が特に進んでいると言う意見を見たことで興味がありました。(小麦の場合は、二毛作などができないので、ボトルネックは労働力ではなく、土地の面積になる)
本書での「自己家畜化」の定義は
人間が作り出した人工的な社会、文化環境のもとでより穏やかで協力的な性質を持つよう自ら進化してきた、そのような生物学的な変化のこと
一般的な家畜化ということでいうと例えばソビエト連邦のギンギツネの話というのがあり、毛皮の目的でギンギツネを繁殖させる必要がありました。養殖場にいたたくさんのギンギツネの中から、人間に対して従順な性質を持つ個体を選んで掛け合わせることで、本来どう猛であった。ギンギツネを品種改良し、養殖に適したものを作ると言うことが行われました。
性格が変わるだけではなく、身体的にも変化があります。耳が垂れて尾が巻かれ。犬歯のサイズは小さくなり、足や尾の骨が短くなり、面が短くなって顔の横幅も広がり平たい顔になる。これはギンギツネに限らず、他の家畜やペットとも共通しているとの事とのこと。穏やかで扱いやすいように手を加えていくとそうなるんですね。
一方、人間も「家畜化」しているのでしょうか?人間も環境の変化に応じて生き方を変わってきています。
中世の時代では、狭い人間関係の中で生きており、コミュニティーの中で舐められる事は生きていくことが困難になることと直結しており馬鹿にされると即反応して怒りをぶつけることで自分のポジションを守ってきたと言う面があります。感情爆発させる事は、自分の身を守る大切な能力であったわけです。
しかし、現在では感情爆発させて喧嘩をする場面と言うのは極端に減っており、そういった人は感情コントロールできないということでネガティブに捉えられるような世の中になっており、現代ではそれを障害や病気と言う形で社会が認識するようになっています。精神科医の著者はそういった人たちと接することが多いものの、単に現在の社会に合わないと言うだけで、これは本当に病気なのだろうかと言う葛藤はあるようです。
その時代や社会に応じて、人間に求められる能力や特性は変化しており、過去には有用な能力であったものが別の状況では障害とみなされる。そんなこともあります。今社会の変化のスピードはどんどん加速しており、10年後には今と全く社会になっていてもおかしくないような状況になってきました。その時に人間に求められる能力や特性と言うのはどんなものなんでしょうか。